この人が書いた「富士山記」には「富士」について、
「古老伝云 山名富士 取郡名也」と書かれている。
富士郡にある山だから富士山になったのか??
これが最も有力とのことだが、じゃあ「富士郡=ふじのこおり」はどうやって命名されたのか?結局「富士」の由来・意味については不明のままと言えるのではないか?「富士郡(フジノコオリ)・・・天平七年(735年)」木簡は他の資料と異なり、荷札など実際の物品にラベルなどとして付けられていたものなので、書かれている年がそのままその地名が存在した確実な記録になる。日本書記も各地の旧地名を大宝律令後のものに直して書いている。しかし、富士山は太古からそこに圧倒的な雄大さで聳え立っており「ふじのやま」と呼ばれていたのはほぼ確実。漢字が決まっていなかっただけだろう。
なので、逆に「ふじ郡」は当然ふじ山が元になったはずだ。
その状態で郡名の方が先に「富士」の漢字が決められ、後追いで「富士山」になった、というのだろうか。うーむどうなんだろう。
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ところでこれに関連するのだが、ちょっと面白い話が見つかった。
日本人なら誰でも知っているかぐや姫の「竹取物語」という昔話がある。
この話は、源氏物語に、
「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」
と日本初の物語であると紹介されている。
この時はまだ「竹取物語」でなく「竹取の翁」などと呼ばれていたのだ。(竹取じいさんという感じだね)そしてこの物語になんと「富士」の名前の由来が書かれているのだ。ところが竹取物語にはこの続きの部分があったのだ。
それを要約すると、
----------そして、かぐや姫が残していった不老不死の薬と手紙を差し上げた。ある人が「駿河の国にある山が天に近い山でございます」と答えた。帝は
「逢うことも 涙にうかぶ 我が身には 死なぬくすりも 何にかはせむ」
⇒「もう(かぐや姫に)逢うこともできなくなり涙にくれている私には不死の薬も何の役に立つだろうか」この命令により調石笠は多くの兵士を連れてその山に登った。富士山はその後いつも山頂から煙がたなびくようになった。
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と書かれている。(帝に説明した時は名前が決まっていなかったため「駿河の国にある山」となっている。ちょっと芸が細かい。) ⇒続く
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立教大学に「竹取物語 貼交(はりまぜ)屏風」があり、竹取物語のいろいろな場面が1枚の屏風に貼り付けられている。
これは「帝、かぐや姫に会いに来る」の場面。
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左上奥の座敷にいるのがかぐや姫。廊下にいるのが帝。
こちらは「天人の迎え、かぐや姫の昇天」の場面。
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かぐや姫が天人と共に月に帰るところ。
雲に乗っているのは三人の天人。かぐや姫は既に天に向かって出発した後か。
左上の背景には富士山が描かれている。
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